解決志向アプローチに関する本の書評
書評 『DV加害者が変わる』
モー・イー・リー, ジョン・シーボルト, エイドリアナ・ウーケン『DV加害者が変わる――解決志向グループセラピー実践マニュアル』(金剛出版2012年)
DV加害者更正プログラムにはさまざまなやり方(流派)があり、その背景には思想的違い(フェミニストかどうか、人権派系か、リベラル系か、人間観、社会観、家族観の違いなど)や専門領域・理論の違い(心理学系か社会学系か社会運動系か)などがある。紙幅の関係で簡単に紹介するにとどめるが、加害者更正プログラムには大きく分けて①ジェンダー、家父長制を重視するフェミニスト系アプローチ、②個人的特性(個人的病理、個人的生育暦)を中心に暴力を理解する心理療法アプローチ、③相互作用的・人間関係的側面から暴力を説明し解決を提起する、家族システム的アプローチ、などがある。
女性学の領域では、EMERGEやドゥルース・モデル(1984年からミネソタ州ドゥルース市で実施されているもので、「力と支配」を中心にして車輪の図で加害者の考えを変えるプログラム)と呼ばれるフェミニスト系アプローチが有名であり、かつそれが最も適切なもの(正しいもの)だと思っている人が多いと思われる。
またフェミニストや被害者支援系の人の中には、加害者更正プログラムは効果がないとか、加害者に甘い、被害者を不利にする、加害者にエネルギーや時間や資金を使うべきでないという理由で、これを評価しない人もいる。それは過去においてはある面で実践的に正しい時もあったであろうが、現代の日本社会においては、一面的な意見だと評者は考える。若者を含め、付き合い続けたい、離婚したくないという状態の「被害者」がいるときに、別れろ、逃げろといった対応や説教だけでは不十分であり、加害者対策も必要である。加害者プログラムは、被害者の現実的ニーズに対応しようとしており、被害者支援や予防教育、DV家庭に育った子ども支援と並んで、DV対策の一翼を担うことは、世界の実情を知る者にとっては常識である。なお、2003年の米国連邦司法省の加害者プログラムの無効性報告には賛否両論がある。
評者も基本的には、上記のフェミニスト系アプローチに近い立場をとっているが、DV予防教育を積み重ね、被害者の実態を知り、加害者プログラムの実態、多様性、実践、効果測定なども学び、かなりの被害者、加害者に接していく中で、必ずしもフェミニスト系だけが正しい加害者更正プログラムだとは思わなくなった。
現実は、多様なプログラムがあり、それなりに成果をあげているものもあれば、欠点を有しているものもあるということだろう。どのプログラムであろうと、いい面と悪い面があり、微妙な使い方やファシリテーターの個人的力量(熱意、性格、人格的能力)に左右されるし、アプローチの中のプログラム内容にも成果は大きく左右されるし、集まる人の構成、偶然性にも左右される。また実際には、さまざまな方法が混在して統合的になされている。
今回書評する『DV加害者が変わる』(以下、本書と呼ぶ)という著作は、DV加害者更正プログラムの中のひとつの立場をまとめたもので、実際に米国の各地で実践され成果をあげているものである。この本書のアプローチ(解決志向アプローチ:解決志向短期療法、SFBT系)には賛否があるであろうが、米国の実情の中で具体的に実践し、一定の成果をあげているという事実は認めなくてはならないだろう。その意味で、DV問題を考え、具体的に被害を減らしたい、被害者支援を行いたいと思う者にとって、加害者プログラムについて学ぶことは必要であるし、本書の流派はその中で特異な位置を占めているものの、1991年以降の実践に基づき学問的にそつのない記述スタイルを取っているので、参考になる文献の一つと言ってよいであろう。
ではもう少し、具体的に本書の構成に沿って、解決志向グループワークによる新しいDV加害者処遇プログラム(プルマス・プロジェクト)の内容を紹介しておこう。
まず第1章では、従来型のプログラムと対比させて解決志向アプローチの原則などを説明している。本書の「解決志向グループセラピー」は、上記②心理療法系の中の一分野と位置づけられるが、従来のいずれのプログラムとも大きく異なる側面を持っている。それが、プロブレム・トーク(だれがいつ、なぜ、どうした等、問題について語る)でなく、ソリューション・トーク(どうなりたいか等、解決に向けての話)を中心に行う短期間集中型の「治療」だということである。
これは加害者に対して非常に非処罰的で、「加害者が過去にとった行動をみつめ反省させ、問題とする(批判する)」のではなく、将来に向けて何ができるか(具体的には「ゴール」を設定させ、それを実践する)に焦点を当てるものである。相手(加害者)には解決する力があると敬意をもってかかわり、加害者の長所や小さな変化に注目し、それを褒め、短期に実際の加害者の具体的変容(暴力停止)を獲得することを目指すものである。
以下、2章では最初のアセスメント面接のやり方、3章ではグループのルールを説明し、ゴールを作る宿題を出すセッションの説明、4章ではゴールの作り方、5章では参加者がゴールに沿って実生活の解決的行動を拡大し、強化するのを助けるやり方、6章では変化を確実にするために参加者を力づける(褒める=コンプリメントする)ことの説明、7章ではグループ治療の意義の確認、8章ではこの解決志向の方法のもとにある仮説とそれに基づく、教訓的でなく、功利主義的でミニマリスト的な手段についての説明、9章は裁判所命令で義務的に来ているとか薬物乱用者、怒りやすい人など特定グループについての注意の話、10章はDV加害者プログラムの評価について、従来のプログラムの効果を測る方法には多くの問題点/限界点があること、にもかかわらず従来の方法ではおおむね加害者プログラムの効果は低かったこと、それに対して本書の執筆者たちがより幅広い枠で設計した自分たちの解決志向アプローチに対する調査研究(プルマス・プロジェクト)とその結果の紹介(それによればかなりの効果が見られた)、11章では問題志向的治療アプローチに解決志向的要素を付け加えてはならないとか、グループセッションの回数を多くする必要はないなどといった改良に対する見解、このアプローチの意義の再検討など、そして「付録」としてDV問題の各種理論的視点の紹介、実際に使っている宿題やグループのルールなどの添付、といった構成となっている。
つまり、本書は、「長所に志向し解決を構築する」ために、グループ・ファシリテーターに必要とされる知識・心構えと介入技術を、順を追った解説と豊富な逐語事例を含めて紹介したマニュアルとなっている。
全体として、この解決志向アプローチの優位点・積極点としては、前向きな事項や長所に焦点を当てて参加者が勇気づけられ、「変化への責任」を自覚して頑張れること(離脱者が少ないこと)、非難されず尊重されること、上から教え諭されるのでなく自主的な学びであること、成果があいまいな抽象論での意識批判(差別構造の理解による性差別意識の批判)の話ではなく、進歩が明確に測れる小さな目標(暴力とは別の意義ある何か)を設定することを助け、それを実践的にクリアーして変化を確実に獲得するものであること、暴力でない対応の可能性を考えさせて内省を促す良い質問が具体的に出されていること、積極的に褒めている点、個々人のニーズに向き合い個別のゴールを重視する点、などがあげられる。
これは加害者プログラムを実践していこうとしている評者にとっても一部参考になる。
一方、この解決志向アプローチの欠点、問題点、限界点として評者が感じたことを指摘しておこう。それは、わずか3か月(その間に、1回一時間のグループセッションが8回持たれる)のプログラムであまりに短期・短時間あること、獲得目標が各人の小さなゴールをクリアすることに絞られ、たとえその部分での改善が見られたとしても深い反省や思考の変化が期待されないためその後が心配なものであること、実施者が心理系でその枠に限定されすぎており、「治療」という言葉を平気で使う鈍感さがあること、従来、専門家に対して期待されていた要求は達成不可能な高すぎるものであったとし、自分たちにできることは限られているとして臨床家的な限定に甘んじ責任逃れをしている面があること、処罰と法的決定と変化の責任を取らせることを機械的に分離し、自分たち治療提供者(臨床家)は参加者個人の前向きな変化と成長を大事にするという言い方で、加害者に差別や暴力への加担責任を取らせないアプローチとなっていること、それは同時にあまりに従来のフェミニスト系アプローチを「加害者に問題の責任を取らせ、善悪を教えて社会的にコントロールする」「暴力問題の理解と反省にこだわり、何かを禁じ、衝動的な行動を抑制するプログラムで、加害者の態度を防御的にするもの」というように敵対的非難的に規定し、フェミニスト系の持っている被害者への共感、暴力を許せないという心情や熱意といったものを軽視している点があること、加害への責任と変化への責任を機械的に分離/対立させていること、こうしたことの全体として、被害者や被害者支援をしている者にとってあまりに加害者に甘く限定的な目標に終わっているものであること、などである。
アルコールや薬物、ギャンブルなどの依存症患者が簡単に治療できるものではなく、長期にグループにかかわり続けて環境を整えることで転落(スリップ、再発)を防ぐことが現実的な対処であるように、DV加害者にも根深い問題がある場合には簡単に「治療」などはあり得ず、長期の学習と自分がしたことの理解、自分の思考や感覚の変革とともに、長期的に暴力をチェックする環境(仲間の存在)に身を置くような姿勢こそが大事なのであって、数か月通って「修了証」をもらって「もう変化した」「治った」といって終われるものではない。
同時に、従来のプログラムにおいて、人によっては、加害行動をとった者でも大きく言動が変化するケースがあるのが現実である。それはどのアプローチであろうとそうである。また簡単な予防教育を受けたことによってさえ、変化する加害者はいるという事実も忘れてはならない。つまり加害者といっても(特に若者などには)単に知らなかっただけで修正可能な者もいるのである。本書が言うように「暴力問題に深入りしない」=「過去に行った暴力を見つめることに深入りしない」ことが良いというのは、一面的すぎる見解であろう。
とはいえ、「加害者プログラムには効果がない、加害者は変わらない」などといって加害者を放置するのではなく、被害者のニーズを把握し、尊重し、被害者の安全に貢献し、被害を拡大させないためにも、また過ちを反省し、愛する者を失たくないと願い、変わりたいと思う加害者にセカンドチャンスを与えるためにも、加害者への社会のかかわりは必要である。本書はその実践の真摯な報告と紹介(詳細なマニュアル)の書である。
伊田広行「書評 『DV加害者が変わる』」『女性学』(21号、新水社、2014年 所収)より
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